会社概要

株式会社サムライランカ貿易

サムライは日本のサムライ、ランカはスリランカのランカ(島)という意味です。どんなことがあってもサムライのように前向きに、また信用を第一に事業を進めていきたいと思います。サムライランカ貿易はまだ発足して1年余りの新しい会社ですが、スリランカをはじめ世界各国との貿易を通して、海外に日本のよいところを紹介しつつ 要望する商品をお届けするとともに、また外国のニーズにもいち早く応えられるように、日本とスリランカをはじめとする諸外国を結ぶ信頼の掛け橋として、信用を重んじながら常に前向きな企業努力を続けていきたいと思います。幸いなことにこの10年余りにわたって進めてきた国際的な社会活動を通じて、日本・スリランカ両国の政財界の方々と深い信頼関係が出来ましたので、これらの太いパイプを有効に活用しながら 皆様のご要望に応えられるような事業展開を進めてまいります。

代表者挨拶

スリランカで大人気日本の“おしん“,”さいゆうき”というドラマを見て、深い興味があって日本への大きな夢とあこがれを持って2002年に初来日しました。来日してまず日本の大きな発展の様子と、また優しい思いやりのある日本の皆さんの心に触れ大変感動したことを今でもよく覚えています。

私のスリランカでの生活は決して裕福ではありませんでしたが、厳格で、しかも熱心な仏教徒である両親に厳しく育てられ、何事にも愛の精神を忘れずに頑張れば、きっと大きな実を結ぶことが出来る、と子供のころから教えられてきました。実際日本での生活も初めから決して楽しいことばかりではありませんでしたが、持ち前の忍耐力と両親からの教えを一度たりとも忘れずに努力していくことで、道が切り開かれていきました。また日本で出会った人たちにも、困った時に私を助け、励ましてくれたことが大きな原動力となり東京と新潟でますます日本の方との交流を深めていくことに繋がりました。

そんな中で、日本の大きな経済力を何とかスリランカに紹介できないか、日本にとってもスリランカにとっても有意義な仕事をしていくことはできないか考えた結果、貿易事業を始め、何とか軌道に乗せたいと思うようになりました。

日本は大変裕福な国ですから、機械なども新型のものが出ると古くなったものは廃棄されるのが一般的ですが、スリランカなど経済的にゆとりのない国々では、それらはとても貴重な財産になります。たとえ壊れて動かなくなった機械や自動車なども自国で安い費用で修理ができ、再びスリランカなどで第二の人生として活躍することが出来るのです。日本では見向きもされなくなったような古い自動車や機械でも 貴重な財産として有効に再活用され、その国の経済を助けることが出来るのです。

そのような国々ですから、チャレンジすれば いろいろな事業が展開できる可能性が広がってきます。少しでも両国のためになる仕事に貢献できれば、と思いつつ事業のレパートリーを広げた結果が、私の経営する会社の事業内容に結びついてくることになります。当然人と人との交流も大事な事業であると考えます。日本で必要とされる人材を積極的にスリランカから派遣する、またスリランカで求められる人材なども技術とともに派遣することも考えられると思います。

またこれは事業とは切り離して考えなくてはならないかもしれませんが、こうした交流を通じてスリランカのすべての人が恵まれるようにしていくことは私の来日以来の大きな目的でもあります。特に小さな子供たちの中には、まだ経済的にも恵まれていない子供がたくさんおります。十分に教育を受けられない子供たち、貧しい生活を余儀なくされている国民も多くいます。そうした人々にも愛の手を差し伸べていくことが出来ればと願い、微力ながら社会活動もしております。事業がより発展していくことが出来れば、私はそうした人々への手助けがより積極的に出来ると思っています。そのためにはさらに努力を重ね、日本のマナーを守り、より誠実に、よりまじめに業務に精励し、より強力な日本とスリランカとの“友好の懸け橋”を築いていきたいと願っております。

取締役社長 サンパット スリ クマーラ

代表者プロフィール

【氏名】

サンパット スリクマーラ

【出身地】

スリランカ カルタラ出身

【来歴 】

2002年来日。日本語学校で学び、スリランカ・日本の文化交流のために活動。
法テラス新潟にてシンハラ語(スリランカ)の通訳に従事。

【職位】

新潟国際事業サポート協同組合 理事

日ス友好団体 ラサイの会新潟 会長
スリランカ文化センター 新潟県支部長
在日スリランカ自動車関連業者協会 会員

県内の学校・公民館主催のスリランカ文化講座、料理教室講師 
新潟商工会議所 会員
南区白根商工会 会員
新潟法人会   会員
守成クラブ新潟 会員

日本とスリランカ、強い友好の絆

 日本が1951年サンフランシスコで開かれた平和会議で6年間にわたる戦勝国の統治から解放され晴れて国際社会の一員として復帰できたということは多くの方はご存じと思うが、しかしこの平和会議の席上、4大戦勝国の一国であるソ連から日本を4分割して統治しようという話が提案さえていたということをご存知の方は少ないと思う。日本は国土を4分割され、アメリカ、イギリス、中国、ソ連がそれぞれ統治するという、ちょうど当時のドイツや南北朝鮮のように同じ民族でありながら行き来が出来なくなる、そんな悲惨な事態になりかけていたのである。地図で見る限り新潟県はアメリカ統治になるところだった。
 それを救ったのが当時のセイロンの大蔵大臣(後の大統領)J.R.ジャヤワルダナさんだった。当時スリランカはセイロンと呼ばれていたが、多くの出席国の中でも取るに足らない小さな国のひとつでしかなかったがこの国の大蔵大臣が仏教の精神に基づいたこんな演説をした。


“日本は戦後6年間 過去の戦争の過ちを深く反省し、国際社会復帰に向けて真摯に取り組んでいる。私たちセイロンはこのような日本を許したいと思う。わが国は日本からの賠償金はすべて放棄する。―― 憎しみに対して憎しみで仕返ししていてはいつまでも平和は訪れない。どうか慈愛の精神をもって日本を許してあげようではないか―― ”

この演説は大きな拍手で迎えられ、この演説を契機に会場の雰囲気が大きく変わっていったという。そして日本は ジャヤワルダナさんのこの名演説のおかげで国土を4分割されるという最悪の事態を回避することができ、晴れて国際社会の一員として迎えられたのである。
それ以降日本とスリランカは、深い友好の絆で結ばれ盛んな交流が行われている。

cf.「日本人として知っておかないといけない”日本の歴史”」