代表取締役
サンパット スリクラーマ

プロフィール

■スリランカ カルタラ出身。
■株式会社サムライランカ貿易 代表取締役
■日ス友好団体ラサイの会新潟 会長

子供の頃からスリランカと強い友好の絆で結ばれている日本に強くあこがれ、大人になったらいつか必ず日本に行ってみたいと思っていながら育つ。2002年、ついにその夢が実現し、あこがれの日本の地を踏む。日本のことをこの目でしっかりと確認し、そこから出来るだけ多くのことを学び、それをスリランカに伝え、祖国の発展のために生かしたい、というのが来日の目的。

来日後2年間は、東京新宿のKCPインターナショナル日本語学校で日本語を習得。その後、IT技術習得のため駿台専門学校に入学。また料理人として12年間にわたり、和食、イタリアン、フレンチ料理を学び、その傍ら貿易関係の仕事に従事。2009年に日本人の妻と結婚後、妻の故郷である新潟に生活の場を移す。
多くの日本人に出会い、助けられ、励まされて成長してくることが出来「この日本の素晴らしさをスリランカに紹介したい!」「とても暖かい日本人の心を多くのスリランカ人たちに知ってもらいたい!」という思いで、来日9年目の2010年に日本・スリランカ両国友好団体“ラサイの会新潟”を立ち上げる。一方、新しい生活の場である新潟を拠点に貿易業の仕事も一層充実、2017年8月に“株式会社サムライランカ貿易”を設立。また、新潟県弁護士会でシンハラ語の通訳、公立中学校での文化交流行事や近隣の市で行われるスリランカ料理講習会などの講師としても活躍。2018年春には、NHK新潟の郷土紹介番組でナレーターを務めるなど社会活動も多く取り組む。
毎年春、ラサイの会新潟でスリランカ大使を招いて盛大な交流行事を行い、新潟県知事、新潟市長、県選出の国会議員などとも親交を深め、祖国と日本・新潟県との懸け橋として活躍している。

【日本とスリランカ、強い友好の絆】

ご挨拶

スリランカで大人気の「おしん」「西遊記」というドラマを見て、日本に深い興味と大きな夢、そして、あこがれを持って2002年に初来日しましたが、その時の日本の大きな発展の様子と、また優しい思いやりのある日本の皆さんの心に触れ大変感動したことを今でもよく覚えています。
私のスリランカでの生活は決して裕福ではありませんでしたが、厳格で、しかも熱心な仏教徒である両親に厳しく育てられ「何事にも愛の精神を忘れずに頑張れば、きっと大きな実を結ぶことが出来る。」と子供のころから教えられてきました。実際、日本での生活は決して楽で楽しいことばかりではありませんでしたが、持ち前の忍耐力と両親の教えをひとときも忘れずに努力していくと、おのずと道が切り開かれていくのが分かりました。また日本の人たちも影に日に私のことを助け、励ましてくれ、これが大きな原動力となって、東京と新潟でますます日本の方との交流を深めていくことが出来ました。

そんな中、日本の大きな経済力を何とかスリランカに紹介できないか、日本にとってもスリランカにとっても有意義な仕事をしていくことはできないか考えあぐねた結果、貿易関係の仕事に着目、何とか軌道に乗せたいと思うようになりました。
日本は大変裕福な国ですから、機械なども新型のものが出ると古くなったものは廃棄されるのが一般的ですが、スリランカなど経済的にゆとりのない国々では、それらはとても貴重な財産になります。たとえ壊れて動かなくなった機械や自動車なども自国で安い費用で修理ができ、再びスリランカなどで第二の人生として活躍することが出来るのです。日本では見向きもされなくなったような古い自動車や機械でも 貴重な財産として有効に再活用され、その国の経済を助けることが出来るのです。
そのような国々ですから、チャレンジすれば、いろいろな事業が展開できる可能性が広がってきます。少しでも両国のためになる仕事に貢献できればと思い、さまざまな事にチャレンジした結果、事業内容のレパートリーの広さに結びついてくることになります。モノは勿論ですが、人と人との交流も大事な事業であると考え、日本で必要とされる人材を積極的にスリランカから派遣する、またスリランカで求められる人材なども技術とともに輸出することも行なっています。

また、これは事業とは切り離して考えなくてはならないかもしれませんが、こうした交流を通じてスリランカのすべての人が豊かで恵まれるようにしていくことは、私の来日以来の大きな目的でもあります。特に小さな子供たちの中には、まだ経済的にも恵まれていない子供がたくさんいます。十分に教育を受けられない子供たち、貧しい生活を余儀なくされている国民も多くいます。そうした人々にも愛の手を差し伸べていくことが出来ればと願い、微力ながら社会活動も行なっています。事業がより発展していくことが出来れば、私はそうした人々への手助けがより積極的に出来ると思っています。その為にはさらに努力を重ね、日本のマナーを守り、より誠実に、よりまじめに業務に精励し、より強力な日本とスリランカとの“友好の懸け橋”を築いていきたいと願っております。

 

 

【日本とスリランカ、強い友好の絆】

有名な J.R.ジャヤワルダナ氏の演説
日本が1951年サンフランシスコで開かれた平和会議で6年間にわたる戦勝国の統治から解放され晴れて国際社会の一員として復帰できたということは多くの方はご存じと思うが、しかしこの平和会議の席上、4大戦勝国の一国であるソ連から 日本を4分割して統治しようという話が提案さえていたということをご存知の方は少ないと思う。下の地図のように日本は国土を4分割され、アメリカ、イギリス、中国、ソ連がそれぞれ統治するという、ちょうどかつてのドイツや南北朝鮮のように同じ民族でありながら行き来が出来なくなる、そんな悲惨な事態になりかけていたのである。地図で見る限り新潟県はアメリカの統治下におかれるところだった。

それを救ったのが当時のセイロンの大蔵大臣(後の大統領)J.R.ジャヤワルダナさんだった。当時スリランカはセイロンと呼ばれていたが、多くの出席国の中でも取るに足らない小さな国のひとつでしかなかったがこの国の大蔵大臣が仏教の精神に基づいたこんな演説をした。
“日本は戦後6年間 過去の戦争の過ちを深く反省し、国際社会復帰に向けて真摯に取り組んでいる。私たちセイロンはこのような日本を許したいと思う。わが国は日本からの賠償金はすべて放棄する。―― 憎しみに対して憎しみで仕返ししていてはいつまでも平和は訪れない。どうか慈愛の精神をもって日本を許してあげようではないか―― ”
この演説は大きな拍手で迎えられ、この演説を契機に会場の雰囲気が大きく変わっていったという。そして日本は ジャヤワルダナさんのこの名演説のおかげで国土を4分割されるという最悪の事態を回避することができ、晴れて国際社会の一員として迎えられたのである。
それ以降日本とスリランカは、深い友好の絆で結ばれ盛んな交流が行われている。
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BSN新潟放送「ゆうなびラジオ」うらなびのコーナーに出演し、ジャヤワルダナ氏についてお話させていただきました。(2018.9.4放送)

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